就活スタート号 保育・幼児教育系学生版
24/192

でしたね。 保育者としては、大学4年間のアルバイトを経て、そのまま卒業後にパートタイムの職員として就職。2年間働いた後、中川さんの紹介もあってりんごの木子どもクラブ(神奈川県)へ転職しました。代表の柴田愛子さんとともに現場で子どもと関わりながら、大好きな歌の仕事も続けられたのが、本当にいい経験になりました。柴田先生がお母さんのように懐広く受け止めるタイプの保育者だったのに比べ、僕は子どもたちの間に入っていって一緒に楽しむタイプ。理想的な保育者だったかどうかはわからないけれど、お兄さんのような立場で子どもたちを刺激し、のびのびと思い切り遊びながら、「子どもが何を楽しいと感じるか」を肌で学ぶことができました。振り返ってみると、激動の20代ですね。世代を超えて歌い継がれる名曲誕生の秘密 中川さんと出会った後の一時期、僕は怒涛のように歌詞を書いていました。僕は中川さんのメロディーの素晴らしさに感銘を受けていたし、中川さんも新しい作詞家を探していたタイミングで、「こんなふうに曲が生まれていくのか」と運命を感じましたね。 短期間にたくさんの曲を生み出きにちょっとした打ち合せができるわけです。「メロディーが浮かんだから、ちょっと聞いてみて!」と園のピアノで弾いてもらったりね。こうした環境の中で誕生した曲の一つが『世界中のこどもたちが』だったのです。 そのようにして生まれた曲たちは、中川さんが組んでいた「トラや帽子店」というバンドのファミリーコンサートで披露していました。僕もよくゲスト出演しましたが、このコンサートは全国をツアーで回るほど人気があり、メディアではほとんど取り上げられなかったにもかかわらず、多くの子どもたちが僕たちの曲を口ずさんでくれるようになっていきました。 当時は「子どもの歌とはこういうもの」という固定観念がまだまだ強い時代だったこともあり、僕たちの作品は評価されづらい側面もありました。中川さんのメロディーは、いわゆる童謡らしいものというよりは、ロックやポップス、あるいはバラードだったりする。僕の歌詞にも「子どもの歌と大人の歌を明確に分けたくない」という気持ちが表れており、世代の垣根にとらわれない言葉を使っていました。その結果として「大人っぽすぎる」と思われることもあった曲たちが、うれしいことに肝心の子どもたちに支持された。すことができた背景には、僕の担当するクラスに中川さんの息子さんが在籍していたという事情もありました。つまり、僕たちは「保護者と担任の先生」の関係でもあった。息子さんの送り迎えの際に必ず顔を合わせるので、そのとしかも、その子どもたちが大人になった今、「昔から好きだったけど、大人になってからはまた別の感動があります」といった声を寄せてくれることも多いです。子どもたちが僕たちの曲を選んでくれた、世代を超えて僕たちの思いが届いたという事実が、何よりの誇りですね。保育園の日常から新たな曲が生まれた 保育者をめざす学生さんは「とにかく間違えないようにピアノを弾かないと」と思いがちですが、実はそれは最後の最後で考えるべき話。もちろん、練習は必要だけれど、まずは子どもの目を見て一緒に歌うことを大事にしてください。例えば、お昼寝のときに「眠れ眠れ♪」と歌ったり、お散歩のときに「どんぐりころころ♪」と歌ったり、生活の中に歌を根づかせるのです。歌っているとき以外の世界を豊かに広げていくことも、歌の大切な役割ですからね。そもそも子どもの歌は、伴奏なしで歌っても楽しく、世界観が伝わるように創られています。ピアノが苦手という人にこそ、まずは歌うことを純粋に子どもたちと楽しむような気持ちでいてほしいな。 逆に、ピアノが得意な人は、日常を音で演出してあげるのはどうでしょう。僕が保育者として現場24

元のページ  ../index.html#24

このブックを見る