あこがれを現実にするため一歩ずつ成長してきたQ 皆さんが看護師を志したきっかけを教えてください。土川 私は、もともと医師をめざしていたのですが、医学部以外の選択肢を検討したとき、真っ先に思い浮かんだのが看護学部でした。受験勉強中に祖母が入院してお見舞いに行ったとき、看護師の方が働く姿を目の当たりにして、患者さんに最も近くで寄り添える存在だと実感したからです。結果として聖路加国際大学に入学し、看護学部での学びを通して、その魅力をいっそう感じるようになりました。石井 昔、父が心臓手術を受けてICUに入室していたことがあり、回復後も入院中のエピソードをよく教えてくれました。「術後につらい思いをしているとき、看護師さんが口に小さな氷の塊を入れてくれ、苦しさがスーッと引いて生きる希望を感じたんだ」という話から、看護の素晴らしさにの領域別実習も現地に行けたのは半分程度でした。想像とは違う学校生活でしたが、そのなかでもできることを各自が精いっぱい模索してきたと思います。 就職活動でもオンラインを活用する場面が多く、3年生の夏、オンライン説明会に参加したことがスタートになりました。合同説明会を皮切りに、興味を引かれた病院の説明会はすべて参加するようにしていました。新井 大学でマイナビの就職ガイダンスが開催されると知り、3年生の7月に参加しました。今になって思えばそれが就職活動のスタートで、やるべきことの順序と方法が分かり、早めに自己分析を進めておくことができました。 また、病院を絞り込むというよりも、就職活動を進める上で何が必要かを探るため、夏の間に合同説明会やインターンシップなどにいくつか参加しておきました。石井 就職活動がどんなものか知りたくて、2年生の秋の時点でマイナビの就職ガイダンスに参加しました。その後、すぐに就職活動を始めたわけではありませんが、全体像が把握できたので慌てることなく3年生を迎えることができた気がします。感銘を受けたのです。 ささやかな思いやりや献身が、患者さんにとって生きる力になる……。私もそうしたケアができるようになりたいと思い、この道を歩もうと決意しました。新井 私には、先天性疾患を持って生まれた6歳差の妹がいます。現在は健康状態に問題ないのですが、出産当時の両親が大きな不安を抱えていたことは間違いありません。 そうしたとき看護師や助産師の皆さんは、妹のケアにとどまらず両親や姉である私の心にも寄り添い、「今後も一緒に頑張っていきましょうね」といった言葉をたくさんかけてくださいました。あのとき抱いた看護師へのあこがれが消えることはなく、自身がめざす姿となりました。Q 志高く看護学部に進学した皆さんですが、就職活動についてはいつごろ、どんなことからスタートしましたか?土川 私たちの学年は、コロナ禍の影響で2年目からオンライン授業が導入され、3年目 本格的に就職活動をスタートさせたのは二人と同じく3年生の7月ごろでした。オンデマンド形式の合同説明会に参加するなどして少しずつ病院の情報を集めていきました。「ここだ!」と心から思える志望先と出会うためにQ 学校生活と就職活動の両立は大変だったと思います。皆さんの場合、どうやって乗り越えましたか?新井 3年生の秋から冬にかけて実習があり、そのための勉強に追われる日々が続きました。私はたくさんのことを同時進行するのが苦手なので、この期間に関してはインターンシップや説明会にはあまり参加しませんでした。ただし、自己分析には実習の合間を縫って取り組んでおり、マイナビの講座やアプリも活用することで、忙しいなかでも無理なく進められたと思います。 その後、12~1月ごろにインターンシップなどの申し込みを始め、実習が終わる2月上旬からスムーズに動けるようにしました。冬の時点でエントリーする病院を検討しておいたことが功を奏し、余計な気力や体力を消耗せずに済んだ感覚です。石井 実習は本当に大変だし、就職活動を同時に進めるのは就職活動中の息抜きは、実家とオンラインでつなげて愛犬の様子を見ること。その可愛らしさに癒され、気持ちをリフレッシュできた。土川夏歩さん つちかわ・なつほ聖路加国際大学 看護学部 看護学科市中病院内定コロナ禍で在宅時間が増えてから、パン作りに熱中。見栄えよく仕上げるため、天候を考慮しながら発酵時間を調整するなど研究した。石井幸乃 さん いしい・ゆきの聖路加国際大学 看護学部 看護学科大学病院内定趣味は、3歳から現在まで続けてきたピアノ。「ラ・カンパネラ」が特に好きで、勉強の合間に弾くことが気分転換になった。新井晴香さん あらい・はるか聖路加国際大学 看護学部 看護学科大学病院内定祖母の心も支えてくれた看護師が、私の理想像Natsuho Tsuchikawa49
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